季刊まちりょくvol.41
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7鎌田 淳(㈱東北共立所属 宮城野区文化センター勤務 舞台業務担当) 私が今の仕事場である宮城野区文化センターに配属になったのは、東日本大震災の翌年の2012年7月でした。本来ならば4月にオープンする予定でしたが、震災後の点検やさらなる耐震補強工事などでオープンが10月に変更になり、その立ち上げ準備の為、7月から私を含め4名が舞台業務担当として就くことになりました。 それまでの私は、主にイベントやコンサートの舞台照明のオペレーターとして仙台をベースに東北各地のホールや施設を仕事場としておりました。しかし震災によって多くのホール・施設がその機能を失うことになり、しばらくは被災地などの救済や支援に関わる催事での会場設営や電源供給の仕事などが主になっていました。そんな折に、会社から異動の話があり、新しい施設で新たな立場で催事に関わる事になったのです。震災後1年余りが経ち、文化事業が救済支援から復興支援という名目に変り始めた頃でした。 この新しい施設は固定式の反響板で響きを重視した音楽専用ホールと、約200席ある可動席の出し入れで平土間としても使用できる演劇ホールを持つ施設でした。この文化施設をどのように活用していくかが、当時の施設関係者にとって大きな課題だったのです。『復興支援』は被災地区として欠くことのできない課題である事、また区民センターの役割とも言える『賑わいのある空間の創造』をどう実践していくかが課題でした。 それに応じて、舞台業務担当としての我々に求められたことは、専用ホールとしての質の高さを保ちながら、それ以外の様々な催事に対応するための工夫と、ホール以外のエリアでもイベントが出来る環境づくりでした。それには現場で培った経験が少なからず役立ちました。また逆に学んだ事は、利用者の自由な想像力に対応していく事でホール自体のポテンシャルが高まっていくという事でした。 それから8年の間、『復興支援』『賑わいのある空間の創造』をコンセプトに様々な事業に取り組んできたことで、賑わいを創り出しただけではなく、文化の発信源としての役割も果たせるようになりました。

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