季刊まちりょくvol.41
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く、確かに同じ「ここ」なのだと分かる。視覚に直接に訴える写真だからこその説得力だ。 一枚、そしてまた一枚と誘われながら歩を進めるうちに、次第にタイムトラベルをしているかのような気分になる。過去と現在とが滑らかに繋がるのは、膨大な数の記録のなせる業。これほどまでに風景の記録に時間と労力を費やしてきたのは、使命感からだという髙橋さん。今この景色はこれまでもこれからもあるようで、本当は今この瞬間にしか見ることが出来ない。だがそのことに気付き立ち止まる人は多くない。誰も撮らないのなら自分が撮ろうとカメラを構えた。 髙橋さんは宮城野区の高砂地区で生まれ育った。昔ながらの田園風景が広がる土地で、父の代まで農家だった。昭和59年に地域全体が区画整理の対象となったとき、髙橋さんは何気ないいつもの風景を記録し始めた。 それがここまで綿密なものとなったのは、若いころからずっと建築業界で勤めてきた経験が大きく関係しているだろうと髙橋さんは振り返る。建築関係の仕事では記録写真がとても重要だ。依頼の種類によっても異なるが、膨大な量の写真を報告書に添付する。ひとつ工程を重ねるごとに姿を変えていく作業の跡を辿るには、撮り忘れや失敗は許されない。 長年写真を撮り続けてきて、髙橋さんは気付いたことがある。写真には自らが写りこんでいると。もちろん、鏡に反射した姿が端に見えているわけではない。意図的に自らを排して撮った、名前の無いような写真でも、後から見返せばその時の状況や気持ちがまざまざと心の中に現像される。どこを切り取るか、どこでシャッターを切るか。そこには等身大の自分が否応なしに写っている。そのうえ更に、写真は成長する。ある一瞬を捉えた一枚は、自分の気持ちの整理のために写した一枚は、時間が経つにつ3髙橋さんがこれまで記録してきたものは、風景写真以外にもさまざま。各撮影場所の記録や震災前まで蒲生地区に植えられていた松の年輪、旧岩切郵便局の建築図面、かえるの鳴き声など多岐に及ぶ。セイタカアワダチソウがどこまでも黄色に咲き誇る。視界を遮るものがないため、約1km先の旧荒浜小学校も容易に確認できる。すっかりまばらになったものの、今も緑に葉を茂らせる松の木。再び整備された自転車道を時折気持ちよさそうに自転車が駆け抜けて行く。

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