季刊まちりょくvol.41
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11ライブなどを行い、心からの笑顔に元気をいただいた。仮設住宅での結婚式のプロデュースで、幸せそうな二人の姿に希望を見る。一直線に走り抜け、あの日からわずか86日目、街は笑顔と涙にあふれる。 しかし今年…2011年の勢い、あの時のやけくその妙に陽気な感じが懐かしい。各地のとっておきの音楽祭の仲間たちからも続々と開催中止の連絡。ますます滅入る。こちらも結局、年内開催への延期から中止へ。コロナ禍でだらだらとこの不安定な状況が続きそうだ。実行委員も先が見えず、不安が募るばかり。会議でも緊張し話が弾まない。 大きく息を吸い吐いて走ることができない。だが匍匐前進のようにじわりじわりと前へ前へと確実に進んでいる。通年活動の拠点としてスタジオを開設し、ワークショップやレッスンなどをできるようにした。記念すべき20回を開催するはずであった6月7日、県内のコミュニテイーFM各局のご協力で「ラジオdeとっておきの音楽祭」を放送し、新しい手法を見つける。10月にはユーチューブで「とっておきの音楽祭SENDAI チャンネル」を開設、積極的に発信していく。 2021年6月6日に20周年開催の予定。街のステージばかりではなく、様々な試みを行うことになる。JSF、ゴスフェスと発足した「仙台ストリート音楽祭ネットワーク」では、これからもお互い知恵を出し合い、協力していきたい。 東日本大震災に加えコロナ禍で、人生のベクトルの主軸を再び小説と戯曲とする。どうしても書きたいこと遺したいことができた。と、同時にフェスの在り方、新しい形を模索し…とにかく進む。転ぶが進むそして走る、さいごの日まで。大河原 準介(演出家) 2010年、29歳の私は歴としたニートだった。仕事と演劇のバランスがうまく取れず、仕事を辞めて作品をつくっていたのだ。その当時の自分語りは割愛するが、今、あの頃の自分が想像もできないような10年後を歩んでいる。 仕事に追われ演劇を3年休んだことも、ロンドンに遊学して海外生活したことも、拠点を地元・仙台に移したことも、すべてが今の自分につながっているが、それらすべてが思い描いた未来図ではなかった。どちらが良い悪いではなく、想像を遥かに超えた地点に今いることが不思議だ。時として行動は妄想を凌駕する。 ここ10年の演劇界を見渡せば、今なお続く東京から地方への拡散/離脱が始まったのも、震災以降と言われている。ここで要因についての言及は避けるが、それまで一極集中で東京にしかなかった「演劇の最先端」が、地方から生まれる時代仙台出身。映画やテレビ、ラジオなどのドラマやドキュメンタリーの脚本・構成を数多く手がける。定禅寺ストリートジャズフェスティバル元副委員長、事務局長を経た後、2001年にとっておきの音楽祭を企画・設立。現在は同音楽祭の企画プロデュースも担当している。

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