季刊まちりょくvol.41
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10 音楽フェスとは縁がなかったのに、仙台に戻って来たとたんJSF(定禅寺ストリートジャズフェスティバル)に深く関わってしまう。それが30年前、僕の人生が違うベクトルへと動くことになる。本業はシナリオ作家だが、角川書店、講談社から小説を上梓しており、仙台で小説をじっくりと書こうとするが、JSFを見てしまった。すぐ実行委員となり、数年後、事務局長までやることになる。10年後の2001年には、とっておきの音楽祭をつくり、今年6月の開催が20周年記念となるはずだった。 2011年3月11日、参加者エントリーの締切り日だった。開催か中止か悩み、エントリーした300もの団体にアンケートをとる。ほぼ全員、「こんなときだからこそ、とっておきの音楽祭はやるべき」「音楽で笑顔を取り戻そう」「みんなで一緒に元気になろう」と開催を切望していた。その言葉ひとつひとつに泣いた。開催の実現に食らいつき、突っ走り、準備中の記憶がほとんどない。被災した各地に赴きイベントや中でいったい自分に、そして楽団に何ができるのかを必死に考えていましたが、思いつくことと言えばオンラインコンサート程度でした。 多くの楽団がオンラインでコンサートを始めたころ、私の中には小さな違和感がありました。もちろん今はオンラインでしかコンサートができない状況なのは承知しています。しかしオンラインとは言え、70名近い楽団員を集めていいものなのか?果たしてオンラインで本当の感動は伝えられるのだろうか? 震災2週間後に見瑞寺で開催した1回目の復興コンサートの会場で、初めの一音に感動し涙が止まらなくなったあの時の事を思い出すにつれ、どうしてもオンラインコンサートという形を受け入れられない自分がいました。 それに万が一にも感染者を出して医療従事者に迷惑をかけるようなことがあってはならないと感じていました。 コンサートが再開できたのは7月からでした。約4か月音楽活動は休止となっていましたが、久しぶりに体感する生演奏はあの時のように私の心に大きな感動をおこしてくれました。生活スタイルは大きく様変わりし、コンサート運営も大きく変化しました。しかし、この変化に対応さえできれば、コンサートも続けられる。今はそう前向きに考えています。 震災から10年近く経過してやっと海沿いの街も整備されてきました。コロナ禍はこの先何年続くかわかりませんが、終息を待つよりも変化に対応し多くの皆様に音楽を仙台市出身。会社勤務を経て2001年に入団。2011年の東日本大震災以降、チャリティコンサートに積極的に参加し、多くの公演でインスペクターを務める傍らMusic from PaToNaステージマネージャーを担当するなど多岐にわたる活動を続けている。2015年より仙台フィル演奏会の司会者を務める。菊地 昭典(シナリオライター、NPO法人とっておきの音楽祭理事長)届けられるよう邁進したいと思います。⇒P.8から続く

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