季刊まちりょくvol.37
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41930年仙台市生まれ。1948年仙台日活映画劇場に入社、1964年映写技師長に昇任、数々の映画上映に携わる。仙台日活映画劇場閉館後、日活児童映画株式会社を経て1983年に株式会社東北日活を自ら設立。東北一円の学校や施設への出張上映、市内各地での自主上映に携わる傍ら、恵まれない子どもたちのためのチャリティ上映や、屋外で行う卸町映画上映会「おろシネマ」など、地域活動も積極的に行ってきた。満89歳、仙台で最年長の映写技師。浅井 浩雄 あさい きちお映をしたり、当時全国的な広がりを見せていた自主上映会を技師として支えたり、時には「未来の東北博覧会 EXPO'87」などの大規模イベントでの上映を手がけたりと、自ら活躍の場を切り拓いていきました。 2000年代に入ると、映画製作・上映ともにデジタルが主流となり、フィルム上映の機会はさらに減っていきますが、この頃、浅井さんが仕事で通うようになったのがせんだいメディアテークでした。2001年の開館以来、フィルム上映があるたびに現場に入り、若手スタッフに映写のいろはを教えながら、数々の作品を紹介しました。 メディアテークに到着すると、「わー、浅井さんだ!」とスタッフの温かい歓迎を受けながら、映写室へ。てきぱきとフィルムを映写機にかけながら浅井さんが一言。「今はボタンひとつで上映できるけど、当時は映写技師二人が呼吸を合わせてフィルムを切り替えなきゃなかったし、音も映画ごとに調整しなきゃなかった。映画といえせんだいメディアテーク7階、映写室にて。ば、監督や俳優の名前が前に出てくるけれど、最後の仕上げは映写技師の腕にかかっている、そんな緊張感を持って上映しなきゃないと、技師仲間でよく言ったんだ」。これまでに数えきれない作品をスクリーンに映し、映写室からお客さんを見守ってきた映画人としての誇りが垣間見える瞬間でした。 「映画って本当に面白いね。観る年代によって感じ方が全然違ってくるんだよ」。最近は古い映画をよく見返しているという浅井さん。上映を通じて出会った数々の名画と、仲間との思い出を胸に、人生の歩みは今日も続いていきます。

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