季刊まちりょくvol.37
5/76

街がゆったりしてたんだっちゃねぇ」と楽しそうに語る浅井さんの眼には、進駐軍や娼婦、警察やチンピラと、いろいろな境遇の人がお互いにうまく渡りあって生きている、そんな戦後ならではの人情と活気に満ちた街並みが今も見えているようです。 映画の黄金時代とともに青春を謳歌した浅井さんですが、1960年代に入ると次第に娯楽の中心が映画からテレビへと移行し、映画館も徐々に減っていきました。仙台日活映画劇場も1972年に閉館。同僚が他都市の映画館へ移籍していくなか、浅井さんは仙台に残る道を選択しました。1983年に株式会社東北日活を一人で設立、東北一円の学校や施設で児童映画の出張上仕事帰りによく立ち寄った稲荷小路。「しょっちゅう飲みに来たから〈夜の帝王〉なんて言われたよ」。「餃子専門店 おゆき」や「おでん三吉」はその当時からある馴染みのお店。このあたりには東一市場や民謡酒場、芝居小屋もあり、多くの人で賑わった。映写技師の国家資格試験を受けた旧宮城県労働会館(現東京エレクトロンホール宮城)前のグリーンベルトでひと休み。3浅井さんの映写技術者免許証。

元のページ  ../index.html#5

このブックを見る