季刊まちりょくvol.36
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41980年兵庫県西宮市生まれ。2歳でヴァイオリンを始め、9歳でニューヨークへ渡る。プレ・カレッジからジュリアード音楽院で学び、2007年ジュリアード音楽院修士課程修了。仙台国際音楽コンクール第1位及び聴衆賞(2004年)、エリザベート王妃国際音楽コンクール第4位(2005年)など数多くのコンクールで受賞。日本ではこれまでに全国各地の主要なオーケストラと共演するとともに、仙台出身のピアニスト 津田裕也とデュオを組み、CDをリリース、意欲的にリサイタル活動を行っている。アメリカ、ドイツ、ベルギーなど海外でのリサイタル、オーケストラとの共演も多数。松山 冴花 まつやま さえか第2回仙台国際音楽コンクールで第1位を受賞した時の演奏(2004年)。「あの時は怖いもの知らずでしたね」と松山さん。ジュリアード音楽院に在籍中だった当時は、先生や母親の「眼」から離れて自由に演奏できる、そんな解放感と勢いで演奏に向かった。(主催者撮影)台での受賞をきっかけにマネジメントがついたこと。そしてプライベートでは、9歳から長らく活動の拠点としてきたニューヨークを離れて、自然豊かなニューハンプシャーに居を移したこと。現在は夫とまだ幼い娘2人、猫2匹で生活を送っています。多くの演奏家や学生が集うニューヨークとは違って、リサイタルなどの公演以外は一人で音楽に向き合う日々。ヴァイオリニストとして、母として、新しいステージで挑戦を続ける松山さん。今度仙台に来る時はどのような音を聴かせてくれるのか、今から次の来仙が楽しみです。ニストとしての実績を着実に積み重ね、今年、審査委員としてコンクールに戻ってきました。大規模なコンクールの審査委員を務めるのは今回が初めて。審査そのものは難しく、また苦しい作業ではありますが、さまざまなアプローチの演奏を聴くことができるのは演奏家として刺激になるし、若く才気溢れる音に出会うと素直に嬉しくなる、とても良い経験だったといいます。 コンテスタントから審査委員へと大きく飛躍したこの15年で、松山さんを取り巻く環境も大きく変わりました。ひとつは、仙今回はステージには上がらず審査委員席で若手演奏家を見守る。今回の審査委員の中では最年少。子どもの頃から尊敬していたヴァイオリニストとの審査は緊張した。

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