季刊まちりょくvol.36
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12 私が貞山運河について考えるようになったのは、実は、東日本大震災後です。震災復興への関わり方を模索していたとき、宮城県の地図を広げて考えてみると、甚大な被害を受けたと思われたのが貞山運河でした。実際に見に行ったらやはりとてもひどい状態で、この運河はなんとかしなければならない、しかも、どうせやるならただ直すだけではなくて、活用する方法があるのではないかと考えました。以来貞山運河研究所のメンバーと情報交換と議論を重ね、また新浜町内会の方と一緒に活動するなど、さまざまなことに取り組んできました。今年の6月からは新たに「貞山運河倶楽部」として活動を始めました。「倶楽部」という名前だったら誰でも気軽に参加しやすくなるでしょうし、貞山運河に興味のある人や他の団体とも連携しながら、貞山運河の認知度を上げていきたいと考えています。 貞山運河は、歴史的土木遺産であり、震災遺構です。国内外を問わず「貞山運河を見てみたい」と言ってもらえるような場所にしていきたいです。川俣さんは世界中にファンがいますから、ここに作品があると、人がたくさん集まってくれるのではないかと期待します。もちろん、アイデアはほかにもいろいろあります。伊達政宗も活用したという舟運による物流を改めて見直したいですし、海岸堤防についても、今後は活用も考えたいですね。海岸堤防にあがると、天気の良い日は牡鹿半島から蔵王連峰までずっと見渡すことができてとても気持ちがいいんです。堤防まで木道をつくればみんなに見てもらえますし、またスケートボードで遊べるようにすることもできるのではないかと考えています。そして浜では花火やビーチバレー大会、コンサートなど、楽しいことを企画すれば、人がたくさん集まる場所になっていくと思います。 今年からは、貞山運河倶楽部の活動とは別に、「みんなの家」の隣の土地を仲間5人で借りて、「となりの畑」と呼んで活動しています。今はまだ畑仕事が中心ですが、みんなで集まって楽しめる場所にしたいと今からいろいろと考えています。貞山運河研究所と新浜町内会で制作した「貞山運河往来絵図」と「貞山運河通信」「となりの畑」。上原さん手づくりの看板が目印。「となりの畑」に設置された「みんなの船」。上原啓五さん貞山運河倶楽部 代表となりの畑 代表プロジェクトを通じて出会った方の声

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