季刊まちりょくvol.34
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2 風の冷たい1月、仙台駅東口のペデストリアンデッキで丹野さんと待ち合わせ。本日は東八番丁にあった劇団の稽古場「石の藏」跡に向かいます。街は土地区画整理事業で様変わりしていますが当時の面影を拾いながら進みます。「あそこに『力寿司』が見えるからこの通りだと思う。…ここかな?」。そこにはマンションが建っていました。  「石の藏」は劇団が最初に借りた稽古場で、60人くらい入る広さの石蔵でした。「とにかくいろんなことをやりました」と丹野さん。週のうち劇団の休みは一日だけで、その日はバンドの練習。結局休みはなかったといいます。演劇あり、ライブあり、パフォーマンスありのユニークな「石蔵劇場」として知られていました。公演にはお客さんとしてお巡りさんもよく来たそう。「制服で後ろに立たれるので困ったのよ。お客さんがザワザワしてね。何かあるんじゃないかって(笑)」。近くには風情ある小さなお店が連なっていたので、飲み屋と勘違いされたこともあったそう。「パンクのお兄ちゃんの隣にお巡りさん、そして団員のお母さんが並んで立っている。舞台から見た景色が面白かったですね」。雨漏りがするので傘を配り、夏は氷柱を立ててビールを振る舞い、終わるとその場で打ち上げ。「70年代の流れそのままだった」と語ります。 そんな数々の思い出がギュッと詰まっていた稽古場は1992年1月、火事で焼失します。ずっと走り続けてきたのでここらでみんなで舞台ではリアリティをという思いから作られた、女3人が舞台上で実際に飲み食いをする作品「女ともだち」。評判を呼び1日2回公演になりましたが、飲み屋のママ役だった丹野さん(右)はお酒が抜けずに散々なことに。文字通り体を張った舞台でした。丹野さんが「お兄ちゃん」と慕っていた故・石川裕人さん(1953~2012)と。石川さんは、1981年に旗揚げした「十月劇場」(TheatreGroup “OCT/PASS” の前身)の主宰者。共に切磋琢磨しながら仙台の演劇界を牽引してきました。1985年から1991年まで、劇団I.Q150の拠点だった「石の藏」。看板は手作り。青年団の主宰・平田オリザさんも訪れ「こまばアゴラ劇場」へと誘ってくれた。初めてのロングラン公演も、様々なアーティストのパフォーマンスも「ここから始まりました」。

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