季刊まちりょくvol.33
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ました。好評だったのはモノクロ版の「ゴジラ(第一作)」で、朝から晩まで満員御礼。大きな声では言えませんが、儲けは「長町のスナックを借り切って、ぱあっと(笑)」。授業が終わると、土樋から一番町を抜け、アルバイト先の国分町の喫茶店へ自転車でまっしぐら。そんな忙しい学生時代を過ごした後、土方さんは東京へ。日本エディタースクールで学び、フリーのライター・編集者として歩み始めます。週刊誌に執筆し、自著『ユージン・スミス楽園へのあゆみ』(産経児童出版文化賞)、『てつびん物語阪神・淡路大震災ある被災者の記録』(奥おくのやすひこ野安彦と共著)などを出版。また編集者として写真家・長ながくらひろみ倉洋海さんや砂すなもりかつみ守勝巳さんらの写真集を手がけ、それらが土どもんけん門拳賞などの賞を受賞すると、その評判が伝わり仕事の依頼が増えていったそう。 活躍中の土方さんが仙台に戻ってきたのは2000年。フリー時代に知り合った民俗学者・赤あかさかのりお坂憲雄さんが提唱した「東北学」を手伝うためでした。東北の文化や歴史、生活などをフィールドワークを通して掘り起こすうちに、「なんだ仙台って、良い所だったんだ」と気づき、2005年に有限会社荒蝦夷を立ち上げます。以来、地元の出版社としてこの地にどっしりと根を張っています。 「仙台に来る時に、東京の同業者には〈都落ち〉と言われたけど、直木賞作家の熊くまがいたつや谷達也さんやベストセラー作家の伊いさかこうたろう坂幸太郎さんと、デビュー直後から付き合うことができた。またほかにも親しく付き合ってきた作家の黒くろき木あるじさんや郷ごうないしんどう内心瞳さんの作品が若者に大人気で、映画・ドラマ化一番町で唯一残る古本屋の昭文堂書店で店主の齋さいとうあつし藤鄭さん(左)と。大正から昭和にかけての探偵小説が好きだという土方さん。「長年探していた本をここで見つけたことがあって、この〈稀きこうぼん覯本〉コーナーは危険なんです。今日は我慢がまん。銀行に寄ってからまた来ます(笑)」。3「映画同好会」の先輩つながりで、他の大学の仲間と、キャンパス教養マガジン『リハーサル』編集部に出入りしていたことも。「編集室は古いビルの2階。一人しか通れない狭い階段で、踊り場にビクターのスピーカーがついていて、 迷路みたいなところだった」。

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