季刊まちりょくvol.33
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8⇒P.10に続く仙台での広がり 『赤い鳥』や『金の船』『童話』『おとぎの世界』などの児童雑誌には、各地の読者が作品を寄せる投稿欄がありました。仙台から熱心に投稿していたのが天あまえとみや江富弥とスズキヘキでした。『おとぎの世界』の投稿欄で知り合った二人は、1921年、仲間を募り「おてんとさん社」を結成し、童謡雑誌『おてんとさん』を発行。「みやぎの子どもにはみやぎの童謡を」を謳ったこの雑誌は、地元の若者たちの作品や、子どもたちの童謡や絵を積極的に掲載しました。中央で活躍していた詩人の野口雨情や山村暮鳥、竹久夢二らも作品を寄せ、『おてんとさん』を応援しました。天江富弥(左)とスズキヘキ(右)天江富弥(1899~1984)郷土研究家八幡町に代々続く造酒屋天賞酒造の三男として生まれる。『おてんとさん』を創刊したほか、仙台七夕や郷土句会など、仙台の様々な文化を継承する活動に尽力した。スズキヘキ(1899~1973)詩人父を早くに亡くし、家計を助けるために高等小学校を退学して郵便局に勤務。そのころから文学に心を寄せ、弟たちと手作りの回覧雑誌を出すなど詩作を開始。仕事をしながら生涯詩を書き続けた。1921年3月から翌年3月まで発行された『おてんとさん』。「童謡専門雑誌」と記されています。1922年に雨情から送られた「おてんとさんの唄」の原稿。本もとおりながよ居長世の曲がつけられ、現在も歌い継がれています。野口雨情と共に松島にて。右から3人目が雨情、5人目が富弥、6人目がヘキ。写真は仙台文学館提供

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