季刊まちりょくvol.31
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54art reviewやんや 4月21日、能-BOXで『はないけ』をみた。ここではそのことについてのレビューを書かなくてはいけないのだが、最初にぼくの立場を書いておくと、依頼が来た時、この公演をみることができることに喜んだものの、花道など花についての知識がなく、申し訳ないが『はないけ』のこともわかっていないので、自分でいいのかと悩んだ。ただ引き受けた以上は、覚悟を決めて、敢えてなにもわからないまま会場に行ってみることにした。なので、花道について知識のある方や『はないけ』について理解している方には的外れな文章になるかもしれないが、自分がその時感じたことと少し時間をおいてから言葉にできたことを書きたいと思う。 まず、その時感じたことは能-BOXという空間に花道家上野のパフォーマンスとAPE TOPEのサウンドは良い意味でぶつかっていたということ。空間に溶けそうで溶けない、また、はみだしそうではみださない、独特の距離感があり、あの場にいることは緊張もしたし、高揚もした。そして、上野のパフォーマンスはどこから始まり、どこで終わるのかがわからない、とてもスリリングなものだった。植物が最初に中央にあり、それを壊すところが始まりのように思えてしまうが、ぼくは最初に静かに佇んでいる植物がすでに何かを語りかけているような気がして、会場に入った時から引き込まれた。(その何かは後になって考えてみると、これから自分が壊されることの緊張感みたいなものだったのかもしれない)中盤、壊しては積み上げる上野に「次はこうしてほしい」「あそこはこうしてほしい」といつの間にか形になることを期待しまう自分がいる。そして、それは悉く裏切られる。そういう風に見てしまう自分の予定調和のところが嫌になる。APE TOPEのサウンドもいろいろなことを提示してくる。リズムが入ってきては消え、メロディーが生まれそうになると、新生きることを奏でることについてはないけ武田こうじ(詩人)仙台・宮城で開催された文化事業をレビュー(批評)としてご紹介します

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