季刊まちりょくvol.28
5/112

言ってたんだ」。門扉を挟んで、友達が映画のワンシーンを演じて、みんなで笑って遊んだ…と思い出は尽きません。 市営バスに揺られ、県庁市役所前で下車。卒業後、丸光デパートに勤めた増田さんは、本町のビル地下にあった「BAR煉瓦」にお客として通ううち、お店のママと気心知る仲になり、いつしかお店を手伝うように。当時のビルは変わらずにありましたが、現在は別の飲食店に。店へ続く急な階段を見下ろし、若いころは苦にならなかったよと笑う増田さん。近くの会社勤めの人や、仙台の文化人が集まる店で、様々な方と知り合えたとのこと。「人との出会いはありがたいよね。飲めるのも幸いしたね」とにっこり。 勤めを辞めた後、当時西公園に開館した勾当台公園野外音楽堂にて。「野本和子は私の先生。私はいつでも彼女の影だった」。勧められて読んだ『ゲド戦記 影との戦い』。「どうだった?」と聞かれ「おもせがったよ」と答えると、「あっそ、いかった」とだけで、感想など一切聞かれなかったそう。その後も教えられた本を読んだが全部面白くて「さすがだなと思った」。仙台市民図書館でガリ版切りのアルバイトを探していると声をかけられ、図書館職員だった野本さんと再会。野本さんは増田さんのことを覚えていなかったそうですが、増田さんは「ああ、彼女かぁ」。仲間におっかない先輩と友達になったよと言ったら驚かれたそう。 野本さんに導かれるようにして、こどものための活動に足を踏み入れていった増田さんは、志を同じくする仲間たちと勾当台公園野外音楽堂や向山にあった宮城県中央児童館で人形劇や紙芝居を上演しました。野本さんは増田さんに「かじ、あんたやらいん」と様々なことを経験させたといいます。「他の人には言わないで、私にだけ言うんだよ」。増田さんを信頼していたからこそなのでしょう。 1977年、野本さんはこどもの本の専門店「ポラン」を立ち上げ、増田さんは手伝うことに。そんな中、野本さんは病に倒れ3学校の記念碑などは、卒業生や関係者の声を受けて、敷地内に残すことにしたようだと聞き、喜ぶ増田さん。「O.G.はうるさいんだからね」。

元のページ  ../index.html#5

このブックを見る