季刊まちりょくvol.28
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2 雨の予報を吹き飛ばし、蒸し暑くなった7月初旬。緑に映える赤い服とベレー帽で現れた増田さんと仙台東照宮からスタート。すぐ近くに間借りしていたという増田さん。「ここは関兵*1の大きな屋敷があったんだ」「そこの梅田川では泳げたの」「道路が悪くって、北六砂漠って呼ばれてたよ」と思い出が次々に飛び出します。 お気に入りの場所の一つが「小松島の沼」。「やんだくなった時に〈樗牛の松〉*2のところに登って石碑に座って、瞑想していた」と笑う増田さん。近くには仙台鉄道があり、戦後、物資不足のために屋根がなかった列車に乗って、父親の実家があった中新田に行くのが楽しかったそう。 北六番丁と宮町通りの角で、気の合う4人組で待ち合わせをして通学。当時、先輩と出会った時は「気をつけ」をして挨拶をするしきたりがあった。そんな中、挨拶をしても「フン」と一瞥をくれてスタスタ行く「おっかない」先輩が。誰もが恐れたその人は、後に増田さんの子どもの本の「師匠」となる野本和子*3さんだった。 東北大学農学部として長年親しまれてきた北六番丁キャンパスは、1950年から1953年まで増田さんが通った宮城県第一女子高等学校があった場所。現在、農学部の青葉山への移転に伴う解体工事のため、中に入ることが許されず、トラックの出入口から中をのぞくだけに。「そこのちょっと小高い石のところ、〈センチが丘〉ってBAR煉瓦にて。昭和40年代。カメラが趣味だったお客さんに撮ってもらった1枚。今も変わらないチャーミングな笑顔。マッチの図柄はデザイナー・伊澤清さんによるもの。東照宮の脇には公園があって、夜中にブランコに乗って遊んだりした。デートの場所でもあったそう。

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