季刊まちりょくvol.22
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3台まで4時間半かかりました」という。 坂を登りきった高台に笛さんの実家があり、能舞台はその庭に設けられていた。二間半(4.5m)四方の稽古用舞台で、正式な能舞台(三間=5.4m四方)よりひと回り小さいものの、市内の能楽関係者からは「小松島能舞台」の名で親しまれた。 「母屋は明治時代の古い建物で、笛さんのお母さんがお住まいでした。外には石垣と門があって。僕が稽古に来るときは母屋に2泊ぐらいさせていただいていました」と津村さんが当時を振り返る。「近くに東北高校があって、稽古をしていると野球部の子たちが走っている掛け声が聞こえてきてね」という記憶も。 笛さんが亡くなった後、明治の風情が漂うお屋敷は解体され、今その跡地には真新しい住宅が数棟建てられている。ここに来るのは現状になってからは初めてだという津村さん、「この下に(笛さんの)甥御さんのお家があるんですよ」と、坂を少し下りたところにあるお宅の呼び鈴を鳴らしてみる。訪問の約束はしていなかったものの、幸いにしてご在宅だった笛さんの甥、高田和彦さん・幸子さんご夫妻との対面がかなった。約5年ぶりの再会だそうだ。 能舞台がこの地にあった頃、和彦さんもお稽古を受けていたそうで、「たまにさぼっているとおばさん(笛さん)から電話がかかってくるんですよ。『今日はお稽古に来ないんですか!』って」。幸子さんがほほ笑みながら語る思い出に、津村さんも懐小松島から卸町に向かう途中、東照宮に立ち寄る。小松島に稽古に来ていた頃はよくお参りに訪れていたそうだ。卸町の「能-BOX」に移設された「小松島能舞台」。開館にあたり、舞台上の「後座(正面奥)」「地謡座(向かって右側)」を広げ、「橋掛り」を新設するなどの改修が施された。鏡板の老松は、中学・高校で美術部に所属していた津村さん自身の手になるもの。

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