季刊まちりょくvol.20
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7次ページへ続く⇒晩翠草堂新寺小路緑道良覚院丁公園東北工業大学一番町ロビー藤村広場連坊小路仙台一高東北福祉大学仙台駅東口キャンパス内ギャラリー青葉通一番町仙台宮城野通連坊 江戸時代、この道の東にある陸奥国分寺の僧坊に因んで「連坊」と称されるようになったという連坊小路。もうひとつ、舟丁界隈にあった花街に通じる道であったことから「恋慕小路」と呼ばれたという説もあるとか。 このあたりは仙台一高に学んだ作家、故・井上ひさしゆかりの地。小説『青葉繁れる』には当時の高校生の青春が描かれていますが、実際にもあったのです、井上青年の“恋慕”のエピソードが。憧れの相手は、東京から疎開して宮城二女高に通っていた若尾文子さん。日本を代表する大女優の、あの若尾さんです。 「若尾さんは(中略)二女高の夜間部で、昼間は一高の裏門近くのミルクホールで働いておられました。このミルクホール、サッカー部の連中が占拠して、常に若尾さんのまわりをガードしていたので、1年生なんか顔も見られない。その年に若尾さんは女優として映画デビューされたんです。(中略)俺たちのアイドルが日本のアイドルになったと、若尾さんがスクリーンに映るたびに映画館で一高生の拍手が起こったものです」(※)と井上さんは語っています。 一高生たちの“恋慕”の続きは映画館に舞台を移したようですが、この地には、のちの作家と女優の若き日の足跡が確かに刻まれています。 ※仙台文学館『仙台、言葉の幸。せんだい現代文学案内』2008年 仙台駅東口にある「藤村広場」は、『破戒』『夜明け前』などの名作で知られる作家・島崎藤村が、1896(明治29)年から翌年にかけての7か月あまりを過ごした下宿「三浦屋」の跡地です。当時、藤村は東北学院の教師を務めていました。 実は仙台に来る前の藤村は、失恋や友人の自死などで傷心の日々を送っていました。そんな折に東京から仙台に移り、自然の美しさや人々のあたたかさに触れ、次第に心が癒されていきます。その心境の変化は、まるで「一生の夜明け」が来たようだったと自ら語っています。その“夜明け”によって藤村はこの地で多くの詩を書き、評価を得ていきました。 その後藤村は上京し、作家として活躍することになりますが、藤村文学の出発点は仙台のまさにこの場所であったと言えるのではないでしょうか。藤村広場文豪・島崎藤村の“夜明けの地”連坊小路一高生・井上ひさし@“恋慕小路”現在の連坊小路。江戸時代は足軽の屋敷が建ち並び、「仙台八小路」のひとつに数えられました。藤村広場には「日本近代詩発祥の地」の記念碑や、仙台城址から移設された詩碑が置かれています。当時、下宿「三浦屋」には荒浜の海の音が聞こえてきたと言われています。最寄駅連坊駅最寄駅宮城野通駅一高校庭での井上ひさし(撮影:佐々木隆二)

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