季刊まちりょくvol.20
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3 最後に訪ねたのは、梶賀さんが中学から大学まで学んだ宮城学院の跡地。現在、仙台国際ホテルやSS30(住友生命仙台ビル)がそびえる区画には、1980年までレンガ造りの校舎が建ち、ミッションスクールの歴史と伝統を物語っていた。愛宕大橋たもとのマンションには、かつてSCSの事務所と衣裳部屋があった。春になるとマンションの隣の竹藪でタケノコが採れた。猫好きの梶賀さんはこの辺りで拾った野良猫を今も飼っている。五橋にある行きつけの美容室を訪ねた梶賀さん、オーナーと会話がはずむ。 「中学では自治会、高校では応援団を作ったりして、私は少し“はみ出しっ子”でした。うちの母は職員室に呼び出されるのが日常で(笑)。でも毎日楽しくて仕方がなかった」と青春時代を振り返る梶賀さん。「ミュージカルの仕事も、自分では続けていこうという意識はなくて、楽しいことを求めてきたというのが現実」とも語る。聞けば1945年7月の仙台空襲の数日後、避難する木炭車の中で7か月の未熟児で生まれ、母親から「生きているだけでありがたいのよ」と聞かされて育てられたという。そこから芽生えた「自分のいのちってすごいんだ」との思いが、梶賀さんのミュージカル作品に通底するメッセージだ。

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