11の荻おぎわらろくざん原碌山、画家の中村彝つねらのグループは「中村屋サロン」と呼ばれました。また外国人活動家と交流をもち、日本に亡命したインドの独立運動家、ラス・ビハリ・ボースを自宅に匿ったりもしました。ボースはのちに愛蔵・黒光夫妻の長女と結婚し、中村屋にインドカリーを伝えることになるのです。 黒光はそのドラマチックとしか言いようのない半生を回想録(『黙もくい移』『広瀬川の畔』など)に記しています。少女時代の思い出話には生家近くの西公園や広瀬川の風景もあざやかに描写され、明治初期の一帯の様子や人々の暮らしを垣間見ることができます。 2014年10月、西公園の一角に一体のブロンズ像が建てられました。「牧神の午後」を踊る、仙台出身のバレエダンサー・東勇作(1910~1971)の姿をうつしたものです。 東勇作は1910(明治43)年、仙台市大町の大工の家に生まれ、立町小学校、旧制仙台二中に学びました。西公園周辺は、東が幼少期を過ごしたゆかりの地でもあります。 少年時代にバレエの舞台を見て魅了された東は、18歳の頃上京し、エリアナ・パブロワ(ロシア出身のバレリーナ。横浜・鎌倉でバレエスクールを開き、日本にバレエを根付かせた人物)に師事、ダンサーとして多くの舞台に出演します。 1941(昭和16)年には「東勇作バレエ団」を設立し、公演を行うほか、振付や後 明治のはじめに「アンビシャス・ガール」をはぐくんだ景色を想像しながらまち歩きをしてみるのもおもしろそうです。現在、黒光ゆかりの場所は残念ながら残っていません。唯一、「木町末無」の地名が町内会名として使われ、当時の名残りをとどめています。西公園に建つ「牧神の午後」の像(作:村田勝四郎)東あずま 勇ゆうさく作バレエダンサー
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