季刊まちりょくvol.20
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陸奥国分寺薬師堂能-BOX10-BOX六丁の目太子堂荒井駅舎内「沿岸部メモリアル拠点施設(仮称)」薬師堂卸町六丁の目荒井8⇒P.10に続く 奈良時代、聖武天皇の命によって日本各地に建立された国分寺のうち、最北に位置していたのが陸奥国分寺です。ここ「木ノ下」一帯は、平安時代から和歌に詠まれた「歌枕」でした。江戸時代、この地を訪れた松尾芭蕉は、紀行文『おくのほそ道』に、「日影も漏らぬ松の林に入りて、ここを木の下といふとぞ。昔もかく露深ければこそ、『みさぶらひみかさ(※)』とは詠みたれ。薬師堂・天神の御社など拝みて、その日は暮れぬ」と記しています。 鬱蒼とした木々の枝から雨のように露が滴ってくる、という場面には今ではなかなか出合えませんが、薬師堂の緑陰に一歩入ってしばし過ごせば、どことなく時間が止まったような感覚になってくるから不思議です。これが古くから人々の詩心を刺激してきた場所のオーラでしょうか。その力が、人々を歌枕追体験の旅に誘うのかもしれませんね。 ※みさぶらひ御笠と申せ宮城野の木の下露は雨にまされり(『古今和歌集』東歌) 六丁の目のコミュニティセンターの一角にある「六丁の目太子堂」。「ここには聖徳太子と弘法大師をおまつりしているんですよ。地域の人たちの守り神です」と、町内会長の加藤正敏さんが教えてくれました。 「六丁の目は昔、水の質が悪い土地でした。あるとき弘法大師がこの近くに来て『水を飲ませてほしい』と言われましたが、その身なりがあまりにもみすぼらしかったので、人々はお水を差し上げなかった。すると弘法大師は現在のバイパスの辺りで、持っていた杖で地面を突いた。そうしたら水が湧き出し、弘法大師はその水を飲んだ、という伝説が残っています」と加藤さん。それ以来、六丁の目は水が豊かになり、人々は弘法大師をおまつりするようになったのだと言います。 以前行われた発掘調査では平安時代の建物跡が発見されたそうで、この地には昔から脈々と営まれてきた暮らしがあったことがわかります。そのなかで人々は太子様やお大師様に祈りを捧げてきました。まちの様子は変わっても、人の心は昔も今もそんなに変わらないのではないか、ということに気づかされる地域の物語がそこにあります。江戸時代初期に伊達政宗公が再建した薬師堂(国指定重要文化財)。毎月8日がご本尊・薬師如来のご縁日にちなみ境内では「お薬師さんの手づくり市」が開かれます。境内の「準胝観音堂」の傍にある芭蕉の句碑「あやめ草足に結ばん草鞋の緒」。六丁の目太子堂地域の歴史と人々の信仰を今につたえる太子堂の外観。周囲には多くの石碑や塔が集められています。お堂の内部には、「南無阿弥陀仏」の六文字が裏返しで刻まれた石碑も安置されています。最寄駅薬師堂駅最寄駅六丁の目駅陸奥国分寺 薬師堂歌枕のおもかげを宿す、文人ゆかりの寺

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