季刊まちりょくvol.19
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34art reviewやんや 同世代(と言って差し支えない)劇団の旗揚げ公演にこのような形で劇評をよせることになった。女性を主体とした劇団うさぎ112kgの『ひとり、生理食塩水に溺れるナイチンゲール0.9%』は、主宰である工藤麻美子さんの処女戯曲で、「【看護×暴力】鈍器で殴るような女性的暗部が鋭利に描かれる」作品だそうである。 劇場に入ると巨大で繭のように布で覆われた「なにか」が舞台中央に坐している。その奥に何があるかはその時点ではわからない。観客はそれを取り囲むようにして座る。「繭」の内と外で女優がナイチンゲールの誓詞を謳いあげ、物語は幕を開ける。「われはここに集いたる人々の前に厳かに神に誓わん」「わが生涯を清く過ごし、わが任務を忠実に尽くさんことを」。 僕自身がそうであったように、若手の作品というのは往々にして創り手のうけた影響がもろに出易く、露骨になりがちである。それは創り手のやってみたいという「あこがれ」が姿になったものだ。あこがれは大概「何を描くか」ではなく「どのように描くか」に帰着する。今回でいえばそのあこがれは「暴力/的に描く」ということではないだろうか。物語の一つ一つが(看護現場の恋愛及び性事情の絡む黒い人間関係とか、禁止された精神外科手術の問題とか)暴力というあこがれを描くために用いられている。それはそれで構わないと思うのだが、個人的にはその「暴力」の向こう側を覗き見たく、彼女が「暴力」を用いて何を描かざるを得ないのかが知りたかった。いや、あこがれはあこがれのままで構わないのかもしれない、暴力の向こう側なんて無いのだとそう言ってのけてしまえるような、とてつもなく過剰な暴力があってもいあこがれが目指すもの劇団うさぎ112㎏ 第一回公演『ひとり、生理食塩水に溺れるナイチンゲール0.9%』中村 大地(屋根裏ハイツ 主宰)仙台・宮城で開催された文化事業をレビュー(批評)としてご紹介します

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