季刊まちりょくvol.18
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2 この日は暦の上の大寒。身体の芯に沁み入るような空気のなか、渡部ギュウさんと仙台の街に出た。 山形出身の渡部さんは大学進学のため来仙し、大学3年のとき、当時仙台で活動していた劇団「十月劇場」(「Theatre Group“OCT/PASS”」の前身)に入団。以来、仙台に根をおろして演劇活動を続け、今年でちょうど30年になる。 定禅寺通を歩きながら、「十月劇場に入団した頃、あのビルの4階に劇団のアトリエ(稽古場兼劇場)があったんです」と、通りに面したビルを渡部さんが指さした。「テント芝居もしていたから、夏はテントで旅をして、冬はここでひたすら活動(笑)。東京の劇団が来て上演したりもしていました」 十月劇場に在籍した9年の間、渡部さんは役者以外にも制作や舞台装置のデザインなど様々な仕事を経験した。「毎日意気がっていました」という20代、多くの時間を過ごしたのはこのアトリエ界隈と言ってもいい。その目と鼻の先にあるのが、仙台を代表する飲み屋街のひとつ、稲荷小路だ。 稽古帰りの一杯の記憶はもちろんだが、実は渡部さん、「仙台に来たばかりの頃、大学に行きながら稲荷小路でアルバイトをしていたんです。夕方4時ぐらいから朝の3時まで。すべての社会勉強はここの店の先輩たちが教えてくれました」。みなさんいい方で、とてもお世話になったんです、と懐かしむ。 かつて稲荷小路と交差して小さな店がひしめいていた連れんさ鎖街には、十月劇場の主宰だった石川裕ゆうじん人さん(劇作家・演出家)との思い出があるという。「十月劇場時代、石川とはくだらない話ばっかりして、演劇の話をしたことがなかったんです。劇団を辞めてから初めて演劇の話をしたのが、連鎖街の店でした」。その石川さんは2012年に急逝。連鎖街も再開発され、現在では昔日の面影はまったくない。  稲荷小路を抜けた後、アーケード街を経由して、文化横丁まで足を延ばす。 横丁の良さは、「見知らぬ者同士が15分ぐらいで会話できるようになる時間と空間」があることだと渡部さんは言う。しかし、そういう店はだんだん少なくなってきている気がする、とも。「以前は芝居の宣伝をするにしても、お店にチラシを持ってナレーションでも活躍する渡部さん。「以前は、仙台で男性のナレーションをする人がいなかったので、電話がかかってくると『すぐ行きます』みたいな感じで収録していました」。コマーシャルなど年間400本ぐらい担当した時期もあり、仙台市民はどこかで渡部さんの声を耳にしているはず。

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