季刊まちりょくvol.14
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そのようなことから、この貴重な句帖を翻刻して、関心のある人たちにじっくり読んでいただきたいと思い、出版を考えました。――「復刻」ではなく「翻刻」ですね。 「復刻」は同じ言葉や絵画による作品の再現です。それに対し「翻刻」は、当時の印刷用活字(活版)をそのまま写し取り(写真製版)、活字の味が当時のまま伝わるようにするものです。それによって、当時の活字や印刷実態の仔細を確認することができ、当時の印刷文化の実態を読み取ることができます。私個人の、出版学会会員としてのこだわりでもあります。――編集中に苦心したことはありますか? いろいろありましたね(笑)。句を解釈するために、さまざまな解説書に目を通しましたが載っていないケースがほとんど。多くの人々に質問を重ね、何とか正解にたどりついた例が少なくありませんでした。例えば「八やはちまん八幡かけたかへりは蕗の薹摘み」の「八八幡」という言葉が最初はわからず、いろいろと調べて、やっと『仙台あのころこのころ八十八年』(三原良吉監修、宝文堂1978年)に出ているのを見つけました。※「八八幡」とは、出征将兵の家族が近辺の八幡社を八カ所お参りし、無事を祈りその御おふだ札をまとめて戦地に送るというもの。 また、作者の人名録については資料が乏しく、個人情報保護法の壁もあって、名簿の整備には長期間を要しました。松山(現・大崎市)の「桝形日草(喜夫)」という人の場合、私の妻の友人が松山の出身なので、多くの知人に尋ねてもらい、ようやく学校の先生とわかりました。それを受けて師範学校の名簿を調べ、確実な情報として確定できたという例もありました。 幸い、私は勤労動員と疎開の経験から、農村の仕事がほとんどわかっていたので、その解釈には大いに役立ちました。言葉だけではわからないことも多々ありましたが、手探りで核心に近づいていきました。句の解釈にあたっては、富田博、今野てる、鈴木楫吉のお三人に、ご尽力を頂戴しております。――「天江のおんちゃん」(天江富彌さん)の思 い出は何かありますか? 最初の出会いは1950年。東北電気通信局に勤めていた頃です。東京からお客さんが来ると、「炉ばた」で郷土料理を味わってもらうのが一番いい。ところが「炉ばた」は、電話で席の予約を受けていなかったので、上司から「陣取りして来い」と言われてました。2、3人で「炉ばた」に行き、ビールだけ注文し、飲みながら席を確保するのです。ほどなく天江さんが来て、「お前たちは陣取りだな。陣取りはだめだぞ」と言って、ジロリといちべつ。私たちは「あっ、これが気むずかしい亭主だな。でも、我慢しよう」と、そのままビールを舐め続けました(笑)。 やがて招待客が席につき会社へ戻るのです。電話予約を認めぬ主人。苦肉の策である陣取りには、注意はしても目をつぶる。そのような「本音と建て前」の使いようには、味のある行為だと学びましたね。――この本を通して、現代の仙台市民に感じて ほしいことがあればお聞かせください。 世界のどこでも、地域の言葉はそれぞれ大切にされていると聞きます。かつては仙台14ばっけあ

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