⇒P.10からは座談会が始まります。 きっかけになったのは、20数年前に何気なく撮った1枚の写真(表紙)。その佇たたずまいや街路樹の雰囲気に惹かれて写真に収めていたんです。それから1、2年経って、ふと通り掛かったら、もう店がなくなっていた。「こうやって景色は消えていくんだ」と喪失感を感じたんです。写真はジャーナリスティックであったり、アートだったりといろいろな特性がありますが、そのとき「記録」という写真の力を強く感じました。写真に写っているものが現実にはもうない。それは、すごく「写真的」なことだと。 私が尊敬する写真家の1人に、ウジェーヌ・アジェ(1857-1927)という人がいます。20世紀初めのパリの街並みや建築物などを淡々と撮っていて、自分が写真を撮るのは自己表現などではなく、画家が絵を描く資料用だと言っている。でも彼の写真は美しいんです。写真家のちっぽけな個性とか表現ではないそこにある風景を切り取った写真になぜ感動するのか。 そのころ私は写真を撮り始めて15年目くらいで写真の本質とは何かを考えた時期でした。90年代後半、女性写真家の感性や個性がもてはやされ、でも一方で写真は機械が撮るものであり、「物事のディテールを切り取っているだけ」と言う人もいた。写真に現れるのは撮る側の思いではなく、見る人が自分を投影して見ているものともいわれます。自分が写真を撮る意味や、表現について悩んだとき、アジェはいつも自分の中にいました。アジェのようなスタンスで街を切り取っていく作業の中で、写真の持つ力や面白さ、美しさが立ち現われていくんじゃないか。そしてこれは1人よりグループでやったほうが、無個性で反表現的であるということが分かりやすくなるのではないか。そんな思いで始めたんです。淡々と記録する中に現れる写真の美しさ仙台コレクションに並ぶ写真は、風景をありのままに写した街の記録。プロの写真家として、表現をあえて制限するこの活動を始めた経緯を代表の伊藤トオルさんに伺いました。8仙台コレクションとは1万枚を目指して、仙台の街の風景を写真として記録し続けるプロジェクト。2000年秋に発足。現在メンバーは8人。写真のプロだけでなく、会社員や、アマチュアカメラマン界の大御所など、さまざまな写真家がかかわっている。伊藤トオル (いとう・とおる) 仙台コレクション代表1963年多賀城市生まれ。1995年初の写真集「KUMANO」出版。1997年「写真新世紀展」にて優秀賞(森山大道選)、翌年年間特別賞受賞。2000年宮城県芸術選奨新人賞受賞。
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