季刊まちりょくvol.10
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2仙台藩第4代藩主・伊達綱村が寺の山門の間から浜の方向を見はるかし、「ゆりあげ」の地名に「閖上」の字を与えたという逸話が残る大年寺山。この山の上に住む佐伯一麦さんも、毎朝起きた後に、あるいは執筆の合間になど、日に何度も仙台平野越しに海沿いの風景を眺めてきたという。2011年3月。震災の2日後、部屋の片付けや水汲みが一段落してふと窓の外に目を向けた佐伯さんは、見慣れた風景に違和感があることに気が付いた。海岸沿いの松林が「櫛の歯が欠けたように」まばらになり、沼地となったような土地が広がっている――。テレビなどの映像が入ってこない状況下で、自身の目で確かめた津波の痕跡だった。 この日は、大年寺山の東あずまや屋から雪にけむったり明るんだりする海辺を見みや遣った後、山を下り若林区の井戸地区に向かった。佐伯さんにとっては毎日遠望している地というだけでなく、幼い頃から幾度も足を運んでいる愛着のある場所だ。 「井戸浜のあたりは、自分が“海”というものを知った一番最初の土地です。子どもの頃はカニ取りをしたり、高校の頃は水泳部だったのでランニングしに行ったりしましたね」井戸地区のかつて家々や田畑があった場所には、雪原が広がっていた。雪を踏みしめながら、「このへんにはハマナスとかクルミなど染めくさになるものがたくさん生えていて、連れ合いは草木染をやるので、よく来ていたんです」と佐伯さん。「それに、防潮林の松だけじゃなくていろんな木がある。桜が多くてきれいなんですよ。海辺の桜。山桜でね。鳥も多い。前に来たときはキツツキの種類のコゲラなんかがいました」地面の雪に目をやると、何か動物の足跡だろうか。小さいが、確かなかたちが点々と残っている。すぐそばにテレビ塔がそびえる大年寺山の東屋(左の写真)から、仙台平野越しに太平洋を望む(右の写真)。

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