季刊まちりょくvol.7
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10地底の森ミュージアムの地下展示室を案内する太田昭夫さん樹木根は発掘当時は黒色を帯び、観覧者がすぐに樹木だとわかりづらい状態だったため、黒色を脱色し木肌の地色を復元する処理も行われた。●「世界でここだけ」の遺跡発見と 保存方法 富沢地区一帯に広がる遺跡の発掘調査が開始されたのは1982(昭和57)年のこと。その後、1988(昭和63)年の第30次調査において、2万年前(旧石器時代)の森林跡と当時の人間がたき火をしたと推定される跡が発見されました。旧石器時代の自然環境と人間の生活跡がセットで見つかったのは、世界的にも前例が少ない貴重な発見でした。そのとき発掘を担当していた現・学芸室長の太田昭夫さんは、当時のことを「保存状態が非常に良く、2万年前の様子がリアルに伝わってくる遺跡でした。土の中から出てきたときは感動しましたね」と振り返ります。 この発見が、旧石器時代の人類と環境を考える上できわめて重要な成果であることから、仙台市は当時この場所に予定していた学校校舎の建設を他の土地に移し、遺跡の保存と活用を決断しました。そこで遺跡を現地で保存し公開する施設として設置されたのが、地底の森ミュージアムだったのです。 遺跡の発見からミュージアムの開館までに要した期間は約8年。その間、この貴重な遺跡を現地でどうやって保存・公開していくかという技術面での検討と実験が重ねられました。●保存していくための努力 この遺跡がきわめて良好な状態で発見されたのは、一帯に湧き出る豊富な地下水と粘土によって遺跡面が密封されていたからです。しかし実はその地下水が、遺跡保存にあたってクリアしなければならない大きな課題でした。そのままにしておくと地下水がどんどん遺跡内に浸み出てきてしまうため、ミュージアムの建物の基礎を地下20mの地点まで構築し、地下水を遮断するようにしました。また、出土した樹木と土壌をカビや乾燥などから守るための保存処理も必要でしたが、従来、一般的だったポリエチレングリコールという薬剤による処理はこの遺跡には合わないことが判明。「失敗は絶対に許されないので、実験に実験を重ねた」(太田さん談)結果、水分をうまく取り込みつつ、地底の森ミュージアム ⇒P.6から続く

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