季刊まちりょくvol.6
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2 「閖上は、岩沼の親戚の家に行く途中によく通っていたんです。小学校低学年の頃は、閖上で家族とサイクリングしたり、釣りもしましたね」。閖上に向かう車中で、熊谷さんはそう話してくれた。しかし車が海に近づくにつれ、子どもの頃の楽しい記憶は、現実の風景に掻き消されるような感覚になる。熊谷さんが震災後に閖上を訪ねるのは今回で2度目だという。1度目は2011年4月の初旬、まだ瓦礫があたり一面を覆っている頃だった。それから約9ヶ月がたち、家々の痕跡だけが、真っ青な空のもと、ただただ広がっている。2007年、熊谷さんは仙台でタップダンスのワークショップ(WS)を開講した。故郷にタップの種を蒔きたい、という思いで始めたWSだ。それだけ自分が育った街に愛着をもつ熊谷さんは、震災後なかなか仙台に帰ることができず、その間「故郷から離れていることが非常に辛かった」と当時の心境を語る。4月の初めに帰仙がかなうと、再開したWSで受講生とともにタップを踏み、避難所となっていた名取市文化会館(震災の一ヶ月前に熊谷さんが公演を行った場所)も訪ねた。その後に足を伸ばしたのが、この閖上だった。そのとき目にした瓦礫だけの道に夕日がおちていく風景は、この先ぜったいに忘れないだろう、と熊谷さんは自身のブログに綴っている。以来、人のいのち、それをつなぐ食べ物、エネルギー問題、政治や社会についてなど、さまざまなことを深く考え続けてきた。真冬の海風は容赦なく強く、冷たい。それでも熊谷さんがこの場所に再び立ったのは、東北に生まれた人間として、ここから新しい歩みを進めていくという思いがあったからだ。さえぎるものが何もなくなった閖上からは、仙台の市街地や遠く泉ヶ岳もはっきり見えた。

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