季刊まちりょくvol.5
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2斎藤さんは旅公演で日本全国を回っているから、その土地土地で思い出の場所がある。仙台では? というと迷うことなく「西公園」。黒テントでは1970年から20年間、文字通りテント芝居(野外に巨大テントを設営し、その中で芝居を上演する)を各地で上演し、仙台での拠点が西公園だったのだ。その思い出深い地を訪ねたのは、黒テント3年ぶりの旅公演『窓ぎわのセロ弾きのゴーシュ』の仙台公演を終えた翌日。敷地に足を踏み入れたとたん、「懐かしいなあー」と斎藤さん。公園のシンボル・こけし塔を指さして、「芝居は夜なんだけど、このこけし塔に照明がぱっと当たったりするとちょっとすごい光景になったんだよね(笑)」。当時、仙台公演は春か秋の2日間。団員たちはトラックに分乗して、寝袋持参の旅回りだった。黒テントには「わたしたちが勝手にオルグと呼んでいた協力者が都市都市にいて、時にはその人たちの家に泊めてもらったりとかね(笑)」。今では到底考えられないが、他人の家で大人数で飯は食うわ風呂には入るわ、果ては「お金貸してください」なんてこともあったそうだ。そんなふうに黒テントに丸め込まれた(?)仙台人のひとりに、現在、民俗・農業研究家として知られる結城登美雄さんがいる。テント旅公演初期の頃、ツテを頼って協力を頼んだものの、当の結城さんは芝居なんてさっぱりわからなかった。それが『阿部定の犬』(1975年初演、作・演出/佐藤信)を観て、斎藤さん曰く「電撃に打たれちゃった」結城さんは、以後黒テントを信用し、やがては惚れ込み、満場の観客を動員するほど情熱を傾けることとなったという。「そういう関係は、芝居だから、っていうのもある。他のことでその土地の人と話すとなると面倒なことがたくさんあるけど、芝居の話だとだいたい興味をもって聞いてくれるんだよね。たとえば政治とか経済の話ではそうはいかないと思う」と斎藤さん。自分たちのテントがなくなってから20年たつのに、むかしを知らない若い劇団員たちは無性にテントに憧れを持つのだという。今の世の中では絶えてしまった人と人との濃い関わりあいがそこにはあり、それに「テントだと街から芝居が影響を受けるというか、相互作用っていうのかな。車の音が聞こえてきたり、風吹いてたり雨降ってたりすると、細かい芝居が通じない。そうするとあえて荒けずりな芝居にしちゃうとか、同じ作品でもどんどん変わっていくんだよね」という斎藤さんの話斎藤さんに強烈な印象を残した「こけし塔」は健在。西公園のシンボル的存在として、公園に憩う市民を見守っている。

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