季刊まちりょくvol.5
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15ラボレーションですね。森山 僕は津村先生と出会ったことで能というものに出会い、舞まいびと人として時間を共有させていただいています。僕の踊りは伝統芸能ではないので“受け継がれたもの”ではないのですが、受け継いでいくことは素晴らしいことで、憧れがあります。僕は能を受け継ぐことはできませんが、表現者が時を超えて刺激しあいながら思いをつなげていくということが僕にとっての伝統だと思っています。津村 「能」とはもともと「猿(申)楽の能」と言ったり「田楽の能」と言ったりして、パフォーマンスを表す一般的な名詞です。僕としては、広い意味で森山くんの作品やアート全体が能という大きなくくりの中にあると思うんです。僕は猿楽の能を勉強しているので、その技術的・内面的な表現のしかたで能をやり、森山くんはコンテンポラリーの能をやっている。出会って作品を創る中で自分のもっている能は何かということで競合し、お互いに響き合い、理解しあい、高めあっていくんですね。 ーー能は一般的に「難しい」「わかりにくい」というイメージがあって、公演を観に行くためには勉強が必要なのでは、と思ってしまうのですが……。津村 能に限らず、舞台芸術では、意味はわからないけども「感動した」とか「涙が出た」とかっていうのが根本的に大事だと思うんですね。勉強してわかったというのと感動とは別の問題。お客様に感動していただけるように僕たちができるかどうか、作品がそれだけ力を持っているかどうかも大事です。しかし公演は生(ライブ)ですからね。日本人は時間をとってある程度の入場料を払ってライブに行くという習慣が身についていないと感じます。子どもの頃から親に連れられてオペラを観に行くとか、コンサートに行くとか演劇を観に行くとかいう習慣が身についていればいいのですが。森山 演劇でも音楽でも何でもそうですけれども、ゾクゾクするとかドキッとするとか笑ってしまうとか、つまらない、わからないということも含めて、場を共有すること、その場にいるということがとても大事なことだと思います。能を勉強しなくても、能独特の時間の流れや、その空間を感じることはできると思うんです。アクションを起こして、何かに向かい合う、出会いに行くということがあってほしいですね。ーーなるほど。難しそうと敬遠してしまって、せっかくの機会を逃しているかもしれません。まずは感じてみる、場を共有してみるという姿勢で、いろいろな「能」に出会うアクションを起こしてみようと思いました。本日はありがとうございました。(2011年10月15日 能-BOXにて)森山 開次 もりやま かいじ ダンサー・振付家。1973年神奈川県生まれ。和の素材を用いた独自の表現世界で知られ、津村禮次郎との作品『弱法師』『OKINA』などで高い評価を得る。国内外での公演活動のほか、演劇・映画・テレビ・写真作品への参加など、幅広い媒体での表現活動に積極的に挑戦している。

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