季刊まちりょくvol.5
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◎仙台城の能舞台 江戸時代には、徳川幕府が能楽を「式楽」(儀式に用いられる音楽や舞踊)としたことから、武士にとって能楽は必須の教養でした。大名の居城やお屋敷には能舞台が設けられ、行事や饗応の際はそこで能楽が演じられたそうです。 さてさて、われらが仙台城は? というと、もちろんありましたとも能舞台が! 仙台城本丸にあった大広間の前面に能舞台や楽屋が描かれた絵図が残されており、「入母屋造、杮ないし板葺の構造であった」(『仙台市史』特別編7より)と推測されるということです。また、二の丸殿舎にも能舞台があり、向かい側の小広間から観劇できる造りになっていました。大広間に至っては260畳もの広さ、小・広間でも130畳というスケールの大きさ! そこから観る能楽はどんな感じだったのでしょう!?◎「ランブシュウ」って? 仙台藩では、能楽をもって藩主に仕える家臣を「乱舞衆」と称したそうです(この場合の「乱舞」は「狂喜乱舞」のランブではなく、猿楽の舞を指すようです)。 前掲の萩原会長のお話に、政宗の小姓から名人級の能楽師になったという桜井八右衛門安澄の話がありましたが、この八右衛門を祖とする桜井家は代々、乱舞衆のトップ「乱舞頭」を務めました。 10代藩主斉宗公の時代のこと。このとき乱舞頭だった桜井彼面安明は、藩主の命により「摺すりあげ上」という能を初演します。初代政宗公が会津の蘆名氏を破った「摺上原の戦い」をテーマにしたもので、藩主から桜井家の相伝とするようにとの下命を受けた曲でした。「青葉山茂り栄ふる宮城野の草木もなひく千代のはるめてたき御代とそなりにける」とはこの「摺上」のラスト部分。現代の仙台市民でもなじみのある地名が出てきていますね。◎世界遺産・中尊寺にも…… 2011年、ユネスコの世界文化遺産に登録された中尊寺(岩手県平泉町)は、江戸時代には仙台藩領内にありました。そのため、歴代の藩主が境内の杉並木やお堂の整備をするなど、仙台藩と深い関わりをもっていたのですね。 中尊寺といえば金色堂ですが、その北側に位置する鎮守社・白山神社をご存じですか? この神社の境内に現存する能舞台は、江戸時代末期の1853(嘉永6)年に仙台藩13代藩主・伊達慶邦公により再建されたもの。東日本においては近世に建造された本格的な能舞台の唯一の現存例とされ、2003年に国の重要文化財に指定されました。この能舞台では、今でも実際に神事能や薪能が演じられています。また、中尊寺には伊達家が奉納したといわれる能面や能装束などが残され、仙台藩における能楽の伝統を今に伝えています。 仙台の皆さん、中尊寺に行かれた際は能舞台もお見逃しなく!《参考文献》『仙台市博物館調査研究報告』第6号[特集・仙台城館および周辺建築復元考](1986年、仙台市博物館)仙台市博物館編、渡辺信夫監修『図説伊達政宗』(1986年、河出書房新社)特別展図録『伊達の遺宝』(1988年、仙台市博物館)『仙台の歴史』(1989、宝文堂出版)『仙台市史』特別編7「城館」(2006年、仙台市)『仙台市史』資料編9「仙台藩の文学芸能」(2008年、仙台市)13コラム

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