季刊まちりょくvol.5
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10流派を超えた活動 仙台市能楽振興協会は、昭和25年9月に「仙台能楽協会」として発足しました。その後、「宮城県能楽協会」、「仙台市能楽協会」と改称し、平成21年5月に現在の名称となり今に至ります。会員は能の各流派(喜多・観世・宝生・金春・金剛)の方のほか、狂言や囃はやし子の方も含め、現在約500人ほど。能楽堂設置の働きかけを市に行ったり、毎年、「囃子と仕舞の会」や「市民能楽講座」、瑞鳳殿での「能楽の夕べ」といった公演を開催しています。 協会ができたとき、会員は100人足らず。催し物をやろうにも財政的に厳しく、東京の能楽師の方が仙台に来て公演をするときなどは、会員達が「皆で応援しましょう」と流派を超えてまとまり、券を売ったりお手伝いをしたりしていました。その気風が今に続いていますが、各流派が一緒になって活動しているのは、他の地域の方々からみると珍しいようです。藩政時代からの伝統 かつて能楽は教養として武士階級にも嗜たしなまれていましたが、仙台藩では、初代藩主の伊達政宗公が太鼓が得意で、謡うたいもうたったし舞も舞ったということで、実際に数多くの能が演じられた記録が残っています。催能で将軍をおもてなしをする時など、時には藩主ご自身で出演されてご覧いただいたりしたようですね。とくに政宗公は、小姓の桜井小治郎(のちの桜井八右衛門安澄)を金春翁太夫のもとで学ばせています。その桜井八右衛門は仙台に戻ってきて名人クラスの能楽師として活躍しました。また政宗公が喜多流の能楽師を保護したことから、仙台藩では金春流と喜多流との 藩政時代から能楽(能・狂言の総称)が盛んな街であると言われる仙台で、昭和25年から60年以上にわたり能楽の普及・振興を目的に活動を続けている仙台市能楽振興協会。現在、協会の会長を務める萩原邦明さんに、仙台の能楽についてのお話やご自身の思い出話をうかがいました。仙台で能楽を受け継ぎ、伝える仙台市能楽振興協会・萩原邦明会長に聞く

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