季刊まちりょくvol.4
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24art reviewやんや ある夏の宵、錦町公園を訪れた。遠くで鳴る太鼓の音につられて公園の奥へ進むと、やがて、シロツメクサの花が咲く広場に着いた。一瞬、夢かと思った。緩やかな斜面のやわらかな下草に腰を下ろし、傾く夕日の日差しを避けながら、芝居が始まるのを待った。夏の匂いの草いきれに包まれて、これは文字通りの「芝居」だな、と思った。 舞台装置も音響設備も何もない。ただ腰掛けが並べられ、10名ほどの役者がそこで身支度をしていた。街の喧噪が聞こえ、たくさんの通行人がもの珍しげな視線をこちらに投げながら役者の背後を行き交っている。さて、こんな場所で演劇が成り立つのかとやや心配にもなったが、OCT/PASSはどう挑戦してくるのだろうと逆に楽しみにもなった。 手ぬぐいや棒きれ、木枠など、見たところ小道具も最小限だし、効果音さえも役者たちが声や息、太鼓や鈴で表していた。役者はとにかく身体を張って、汗だくになって、ひたすら惜し気もなくその身を世界に投げ出し、さらしていた。それで十分だった。「銀河鉄道の夜」「鹿踊りのはじまり」「どんぐりと山猫」「永訣の朝」ほか、めくるめく宮澤賢治の世界が次々と展開し、観客を飽きさせることはなかった。先輩連中に混ざって新人たちも頑張った。まだ拙い演技ではあるが、しかし「つたない」ことはけっして「つたわらない」ことではない。演じることへの真摯さは、自分という可能性へ挑戦する勇気の現れでもある。それに私はささやかな元気をもらった。 今回の震災で、私たちは文明という身ぐるみを引き剥がされ、生きることの根源を見つめなおす経験をした。同じように、舞台表現者たちも劇場という身ぐるみを剥がされ、素裸でふるえながら、表現することの根源に向き合うことになった。そんな中、この公演を観られて私は良かったと思う。そこに役者が居て、観客が居それでも地球は回っている。TheatreGroup“OCT/PASS”Vol.33 PlayKenji#6「人や銀河や修羅や海胆は」伊藤 み弥(演出者)

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