季刊まちりょくvol.4
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11災害時に漫画家はなんの役にも立たないのがわかりました。役に立つとすれば漫画家ではなく、一個人の立場で救援物資を送るなり、ボランティアなり活動した方がよいのは明白です。とは言え、頼まれればボランティアとして絵を描いたり、文章を書いたりはしていましたが、それがどれほどの役に立ったのかはたいへん心許ないです。ひとまず「やった」という自己満足に頼るしかないでしょう。今はまだ被災した人々の周りに、ボランティアだったり、同じ被災者だったり、家族だったり、誰かがいてあまり孤独に陥ることもないかもしれません。しかし、いずれ人は必ずひとりになります。そして漫画というものはひとりになった時に読まれるものです。その時になにか伝えられるものが私にあればと願いますが、今はまだありません。やはり役立たずです。役に立たない者として、なにか伝えられるものが出来る日まで、震災のことを考え続けるしかないと思います。いがらし みきお宮城県中新田町(現・加美町中新田)生まれ。会社勤務を経て漫画家デビューし、1986年に連載を始めた「ぼのぼの」が大人気となる。その他の作品に「忍ペンまん丸」「Sink」「かむろば村へ」など。いがらし みきおさん漫画家小さくはない余震にも慣れてきた停電が続く夜、ある歴史上の女性を綴った本をヘッドランプのたよりない灯りで読んでいた。電話帳程もあったがあと数ページ。浮世離れした本をその日中に読破しようと3・11以前から決めていたのだが、或いは揺れる不安からの逃避だったのだろうか。大好きだった海岸線や、運河など人の営みが創り上げた風景が人々の心と共に崩れた。この「大震災」は「大心災」とも言える物で時折心が折れそうになる毎日を送っている。直接被災された方々の痛みは計り知れないし、間接的な被害はそれこそ日本中に広がっているのだから。私は音を聴く環境を作る仕事に携わっているが、「より良い音」を求めてそれまでは過ごしていた。他の環境は当然揃っているものとして。しかしそれは、失って初めて判った。東北に生き同じ痛みを背負う1人として何をすべきか自分をリセットして、改めて考えてみた。 演奏家は祈りつつ、その音に想いを込めて演奏する。演技する者はその魂を込める。自分に出来る事は、コンサートを聴きに来て下さるお客様がそのパフォーマンスを素直に受け止められる「心地よい」環境を創る事かもしれないと。直接被災地までは届けられないが、多くのファンのためホールの環境が「心地よさ」に繋がるよう努めて行きたい。携帯が通じ始めたころ「もう音楽は聴いているか?もう俺は聴いているよ!」と知人から連絡があった。食料の調達もままならないのに、私は何やらうれしくなったのを覚えている。人が生きていくためにはその人なりの「心地よさ」という感情が不可欠なのだと。青年文化センターコンサートホール復旧後、佐々木 克則さん東北共立刊行。四川大震災をうたった作品を収める第2詩集『石の記憶』により、2010年H氏賞を受賞した。現在、東北大学で中国語の講師を務める。「心地よさ」の回復を願いつつ

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