季刊まちりょくvol.3
37/44

この度の震災・津波で被災したすべての仙台市民の皆様に衷心よりお見舞い申し上げます。一日も早いまちの復興を祈念いたしております。 仙台とは、シアタームーブメント仙台事業(以下シア・ムー)の1年前に、総額180万円という予算で1年間ワークショップをやって、12月に『わが町』(注:平成7年度演劇ワークショップ成果発表公演)の試演会をやった時期から、シア・ムーになり、劇都仙台になりと、およそ9年間、仙台市青年文化センターを拠点とした演劇事業に関わりました。事業から身を引いて、もう仙台との縁は切れたなと思ったら、宮城大学から依頼があり事業構想学部・大学院研究科の客員教授として、また6年間仙台に通うことになりました。地域に出てからの大半は仙台と関わって過ごしたことになります。ちなみに、阪神淡路大震災の時に神戸シアターワークスという、「子どもたちの心のケア」と「仮設住宅の中高年のコミュニティ形成」を目途とした団体を立ち上げ活動していた頃と、仙台のシア・ムーに関わっていた時間が重なります。 そして、この度の震災です。「何かをしなければ」と、長年通った仙台の、特に文化関係の危機的な状況を前にして背中を押す力が働きます。私のいる可児市文化創造センターalaで、いま、私は東北に向けたプログラム設計を進めています。 事業団としても動き始めてください。「何かしなければ」と突き上げる思いの中にいる演劇人は沢山います。しかし、彼らはまた被災者でもあります。したがって、事業団ができることは、「何かやらなければ」と思っている在仙の演劇人たちを沿岸部の避難所への「嘆きの作業」(Grief Work)の担い手として雇用することです。いわば、世界不況時にアーチストの仕事を創造した「ニューディール政策」です。コミュニティ・アーツワーカーとしての雇用です。仙台市は東北地方の、いわば首都です。動き始めるべきと私は考えます。想いの残っている仙台だからこそ、すべての被災者に向けたモデル事業を発信してほしいと思っています。 私に出来ることがあれば、何でもします。阪神淡路大震災の頃のように自由に動ける身分ではありませんが、その体験に基づいたアドバイスは出来ると思います。「いま、出来ることから始める」。これが被災時の身の処し方です。私は可児から出来ることを発信します。仙台の事業団、演劇人、音楽家が一体となって、これから本当に大事な「こころのケア」に立ちあがってくれることを願ってやみません。衛 紀生さん(可児市文化創造センター館長兼劇場総監督・NPO法人舞台芸術環境フォーラム理事長)35

元のページ  ../index.html#37

このブックを見る