季刊まちりょくvol.1
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3ほしい新聞がなかったことがあって、しょうがないから仙台駅まで行こうと、パジャマのまま仙石線に乗ったら、逆方向に乗っちゃって。そのまま東塩釜まで、なんてこともありました(笑)」甘美な思い出だなあ、と繰り返すいがらしさん。「信心深くなかったから、近所に住んでても1回ぐらいしか来たことがなかった」という天満宮の境内を通り抜け、二十人町界隈へ。「その整形外科の横、もう更地になってますけど、よく通っていた“かっぱ食堂”っていう定食屋があったんです。女将さんが美人で、私と同い年だった。その娘さんも幼稚園ぐらいのかわいい子で、行くとわざわざ顔を見に出てきてくれたりしてね。あの子も今たぶん30近い年ですかねえ」再開発が進むこの地区には、いま、現在と近未来と昭和が入り混じったような不思議な景観が広がっている。“かっぱ食堂”は跡形もない。女将さん母おやこ娘の消息も、いがらしさんにはもはやわからない。「けど、そういうのもありですかね。それもまた人生です」。二十人町を後にして、45号線を横断して小田原方面へ。いがらしさんが仙台に来て初めて住んだアパートはすでに取り壊され、病院の敷地の一部となっていた。「アパートの建物は、少し前までは残っていたんです。取り壊しの最中にこの前の道をタクシーで通ったことがあって、『あっ、壊してる!』と思って、携帯電話で写真をとりたかったんだけどできなかった……」と後悔をにじませつつ、45号線から一本入った原町の商店街へ足を伸ばす。昔ながらの石屋さん、駄菓子屋さん、銭湯などが風景にとけこんでいる。「この銭湯には、アパートの風呂が壊れたときに入りに来たことがありますよ」「この郵便局から出版社に原稿を送りました」と、いがらしさんの記憶が次々に呼び起こされる。榴ヶ岡天満宮の数あるおみくじの中から、「恋みくじ」を選んだいがらしさん。「中吉。消極的になってはだめです。決してあきらめないで、心を強くもってぶつかりなさい、だそうです」この道の先に、1週間に2・3度は訪れていたという“かっぱ食堂”があった。実はいがらしさんは10代の頃も、1年だけ仙台で暮らしたことがある。そのときの思い出もあり、東京、故郷・中新田を経て、ふたたび仙台に住むように。「こういう公園に来て、草の上に寝転ぶというのも一種のあこがれでした」。榴岡公園にて。

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