季刊まちりょくvol.1
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12NOT FADE AWAY —そして、「これから」*演劇の場にも今の日本の一端が確実に現れていますね。「演劇は社会の鏡」とも言いますが、その点はいかがお考えですか?石川 公演して見せること自体、すでに社会的な行為だし、その基本スタンスは変えずにいたい。あとはシニア劇団のように、演劇の範疇に収まりきらないところで芝居をつくりたいですね。若者だけじゃなく、幅広い世代をひっくるめてやれるといいね。丹野 それ、賛成!私はあまのじゃくなところがあって、もうはっきり時代に逆行しようと思っています。自分が愛しいと思う「昭和」にこだわって、かあちゃんもじいちゃんもばあちゃんも町内会のみんなも一緒に元気だった時代のことをやりたいです。子供から大人まで「みんながんばってるじゃん!」って肯定したい。演劇で社会と関わるとすれば、生きているだけでありがたいとか、素晴らしいとか、人間のジタバタ、必死感をやりたいです。演劇の最先端とは違いますが、ここ数年のいろいろな出会いがつながってそう思うようになりました。*長年にわたる創作のエネルギーはどこからくるのですか?石川 いやあ、毎回大変な思いをして書いていますが、他にこれといった趣味がないんだよね。読書しても映画見ても音楽聞いてもニュース見ても、すべてが劇作に向かっている。眠っている時間以外は無意識にネタを仕入れているんだねきっと。丹野 私もそう。趣味らしい趣味がないし、たまに休むとヒマのつぶし方がわからない。空っぽになれるのは農作業と釣りの時ぐらいかな。私の場合、タイトルを決めて、役名を決めて、人の顔が浮かんで来ないと何も書けないから、それを決めるまでが大変です。石川 良いタイトルができると「あ、これは行けそうだ」と思う。タイトルなしで書くと、逆にタイトルで悩むし、あまり筆も進まないね。丹野 似てますね。私もタイトルがないと動けない。私は自分が書いている段階では作品という意識はなくて、あくまで生の役者がしゃべって、体温と息が通ってから初めて作品になると思っている。私の戯曲は役者のためのお膳立てみたいなものだから、「読み物」としてはどうかなあ。書いたものを見て欲しいからと役者を使って演劇をするわけではないです。石川 そう、「発表会」ではないよね。私は「100本も書いた」とも「100本しか書いていない」とも言えますが、自分が本当に納得したものはほとんどないんです。「こういうものを観たいんだ!」という欲求だけでここまで続いている気がする。丹野 作品はお客様に渡してしまうものだし、思い出は残るけど満足ということはなくて、いつも「ちがうやり方があったのではないか」という思いが沸ふつふつ々とありますね。石川 うん、満足したらやめるだろうし、満足なんてたぶんしないだろうし。年とってパソコンが打てなくなるかもしれないけど(笑)。でも、唐さんより先にやめるわけにはいかないなあ。丹野 うん、そうだね。*では最後に、演劇を見たことがない人へ「おすすめの1本」を。丹野 最近感動したのは『ウィンドミル・ベイビー』(※4→P.13)。アボリジニの戯曲を大おおかた方

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