季刊まちりょくvol.1
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11いうことをいま国がやろうとしている。コミュニケーションをどう整えて巧うまく機能させるかということに演劇が期待されている。でもその前に、社会のシステム自体や学校の在り方を改革していかないとだめじゃないかな。丹野 時々、小学校でワークショップをしますが、大人が「さあ遊びなさい」とお膳立てをして、「よく遊んだね」と大人が喜んでいることに疑問を感じます。隣の子と手をつなぐこととか追いかけっことか、授業で教えないとだめなのかしら?それから、私は「隣の子と手をつなぎたくない」こともいいと思うの。お互い理由があるのだろうから。自分が上手に話せない子供だったので、人と同じことができない、やりたくない子供たちに興味が湧きます。逆に、先生の中にコミュニケーションの問題がある人も多い気がしますね。石川 そうかもね。丹野 最近はからだの感覚や距離感が鈍い人が多くて、「知り合いはこの距離だな」「これ以上近づくと恋人みたい」というパーソナル・スペースがわかってないみたい。石川 例えばワークショップで、「親しい人と親しくない人の距離感はどうちがうか」と実際に役者が動いてやってみせるとわかりやすいよね。次に参加者が自分でやってみて「なるほど」と感じて、さらに実生活の中で「私とあの人との距離感はどうだったか」「どんな距離感を持とうとしているのか」なんてことを考えるきっかけになることはあるかもしれない。丹野 話しながら歩いてきて机にぶつかる人もいるから驚きますよ。それから、全般的に若い人はお行儀が良すぎて「引いている」感じがします。赤ちゃんの頃は何も考えず抱きついて来たのに、大人になるとそれができなくなるのね。石川 直接的なコミュニケーション、からだとからだがふれあうこと自体が疎うとまれ、子供は親にも拒まれている。携帯電話のせいだけじゃなく、実際に会って話をすることがどんどん減っている。でも、演劇はアナログ。必ずその場へ行って、出会わないことには成立しない。アナログだからこそ人間本来の持っているコミュニケーション、例えばハグすればどうなる、殴ればどうなるということが如実に表れて見える。これは映画にも音楽にもできないことだと思う。丹野 今は人と人のあいだに機械が必ず入り込んで、実際会わなくても関係はつながっている錯覚があるんでしょうね。うちの劇団では、舞台で殴った「フリ」はしない。必要なら実際に殴るし、キスもする。だから私は、人を殺す話は絶対書けない。*そんな若者に比べ、お年寄りはいかがですか?シニア劇団(※3→P.13)を旗揚げしましたね。石川 これがうまいんだよ。声は出るし、からだは動くし。下は60歳から上は78歳かな。面白いことにコミュニケーション不全の人はいないんですよ。丹野 そう!私たちより年上の人の方がかえって自由ですよね。そのあたりの感覚がわかっている。からだも老化はしているけど、若い人たちとは明らかにちがって歪ゆがんではいない。長く生きている人って居るだけでカッコいいでしょう?例えば78歳の人は78年分ごはんを食べていて、辛いことも嬉しいこともいっぱいあったから、もうそこにしっかりと「人生」があるし、それが顕れてくる。変に演じようとかしなくていいんです。もうそのままで素敵。

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